高野山 町石道 上古沢~壇上伽藍
1町(約109メートル)ごとに「町石(ちょういし)」と呼ばれる高さ約3メートル強の五輪卒塔婆形の石柱が建てられ、高野山上の壇上伽藍・根本大塔を起点として慈尊院までの約22キロメートルの道中に180基、大塔から高野山奥の院・弘法大師御廟まで約4キロメートルの道中に36基の、合計216基の町石が置かれている。
町石は、弘法大師が開山した平安時代の頃は木製の卒塔婆だったと言われており、風雨にさらされるなどして老朽化したため、鎌倉時代の文永2年(1265年)頃に遍照光院の覚きょう上人が石造の町卒塔婆建立を発願し、20年の歳月をかけて弘安8年(1285年)に完成した。現在でもその8割以上にあたる150本の石柱が建立当時のまま残り、今なお昔日の面影を伝えている。
かつては高野巡礼の人々が町石のひとつひとつに手を合わせて礼拝しながら登ったと言われている
…ってなことをしながら俺らは登ってはないけどよ…
最近鈍った身体に鞭を打ちザックの重さは15㌔強。
でも九度山から根本大塔まで全長約23.5km と結構時間もかかるので、上古沢駅まで送ってもらって
なかなか上古沢からの入口を見つけるのに手間取るも、快晴。まずはitabb先頭に、しんがり(記録係)は春風で10:00 出発
町石道までの杉林の約1時間、急な登りで大人2人はバテバテ。(Girlの前であんまり弱音吐かれへんしな)
二ツ鳥居は木製のものから慶安2年(1649)に現在の鳥居に…って書いてた。単純に凄ない??
百十八町の前で記念写真。残り13㌔
片や走ったり、後ろ向きで歩いたり元気な横で、春風は結構、脚キテマス
紀伊高原の応其池に氷が張ってて、石を投げて遊んでます。 おい、両方目つむっとるやんかぁ。やっぱり親子やな(笑)
楽しい楽しいランチタイム
この写真、楽しさ伝わってくるやろ
温かいお茶に餡ドーナツ、美味っかたでぇ~
ってほとんど食べたあとの写真やけど
ココですれ違った外人にも、ジャパニーズスイーツあげたら良かったな
袈裟掛石、押上石を越えて、四里石すぎには残雪が。萌はスキーを真似てまだまだ疲れ知らず
3桁あった町石の数も残りわずに。
そしてラストスパートの十二町石あたりから急な登り坂を経て大門へ 16:10 到着
八町石から一町石の壇上伽藍を経由して、金剛峯寺へ。
打ち上げは…いつもの
丘の上の名店「イタガキハムニダ」にてビビンバとゴボウ天麩羅で乾杯(家でビビンバって凄ない?? 初めてやわ~ 美味かったぁ~)
何杯飲んでも一杯目の美味さやわぁ~。いつもいつも本当にスイマセン&ゴチソウサマ。感謝ハムニダ♪